ヴァシュロン・コンスタンタンが創業以来大切にする外に目を向ける精神をもって、「レ・キャビノティエ − レシ・ドゥ・ヴォヤージュ(旅の見聞録) − 」は世界中の驚嘆すべきものを辿りながら発見の旅に誘います。多様な行先の中から選ばれたのは、1845年からメゾンが拠点を構えた中国を含む、アジアの歴史的な遺跡です。
メゾンの芸術職人たちは、アジアの伝統的建築とメゾンの旧本社屋を、19世紀の挿絵をもとに3種類のゴールドからなる文字盤に初めて用いる技法で彫金を施しました。メゾンの卓越した技術力を結集した自社キャリバー1120は、超薄型自動巻きムーブメントで、これら4つのユニークピースに命を吹き込みます。
このタイムピースは、ヴァシュロン・コンスタンタンの地理的拡張を反映した新しいコレクション「レ・キャビノティエ − レシ・ドゥ・ヴォヤージュ(旅の見聞録) − 」からのユニークピースです。ジュネーブの中心部で歴史的に展開していたヴァシュロン・コンスタンタンは、早い時期にアジアに目を向け、19世紀半ばの中国を含むアジア諸国との商業関係を築く必要性を感じ取っていました。「レ・キャビノティエ − メモラブル プレイセズ(忘れがたい場所) − 」の4つのユニークピースは、極東とジュネーブの名高い建築物を当時の挿絵から着想を得て文字盤を手彫りで描いています。これらのタイムピースは、最も薄い自動巻きムーブメントのひとつ自社キャリバー1120を搭載しています。
ヴァシュロン・コンスタンタン − アジアとジュネーブ −
19世紀前半は、ヴァシュロン・コンスタンタンにとって多岐にわたる拡張を意味しました。メゾンはブラジルで代理店を見つけ、キューバやインドとも取引を開始し、地中海地方一帯に時計を納め、同時に中国市場にも目を向けていました。1842年に締結された南京条約により、第一次アヘン戦争が終結し、この土地での新たな展望がヨーロッパへも開かれました。メゾンのアーカイブには、1865年頃中国皇帝に向けた、上質な真珠とダイヤモンドをセッティングした、ブルーエナメルの比類ないタイムピースの製作が記されています。
この時期は≪シノワーズ≫と呼ばれ、湿気に強い設計で彫金とエナメルで豊かに装飾され、ペアで販売された時計が主流でした。
時計製造に特化した歴史家であるALFRED CHAPUIS(アルフレド・シャピュイ)によると、ヴァシュロン・コンスタンタンは、「中国市場向けの宝飾時計を確立した」マニュファクチュールとなりました。世紀の変わり目以降、パートナーの数は飛躍的に増加し、アジアでのメゾンの存在を高めることができるようになりました。
伝統的な建築様式の寺院や宮殿により人気のあるこの地域は、当時の多数のイラストレーターたちも高い関心を持っていました。19世紀の数多くの芸術家が感じ取ったカンボジアのアンコール・トム、北京の孔子廟、清朝の旧円明園の描写が、「レ・キャビノティエ – メモラブルプレイセズ (忘れがたい場所) –」のユニークピースのモチーフモデルとなっています。これらのタイムピースは、ヴァシュロン・コンスタンタンがジュネーブから何世紀にもわたって築き上げてきたアジアとの絆に敬意を表しています。
このことから、ジュネーブにあるメゾンの歴史的な本社屋も、当時の彫金から着想を得て「レ・キャビノティエ - メモラブル プレイセズ (忘れがたい場所) -」のひとつに描かれています。
13世紀、フランス従軍から身を守るために建造されたこのイル城は、何度も火事に見舞われました。1677年には取り壊され、塔のみが残されました。2世紀後に修復されたこの塔は、この街の歴史的建造物のひとつとなっています。
3種類のゴールドを彫金
口コミランキング第1位のパネライスーパーコピー代引き「レ・キャビノティエ – メモラブル プレイセズ (忘れがたい場所) –」の文字盤には、新しい彫金の技術を用いて4つの歴史的な場所を再現し、その内の2つにはダマスカス技法のタッチを添えています。
それぞれの文字盤には、イエローゴールド、ホワイトゴールド、ピンクゴールド製プレートを並列して構成され、異なる色彩で表現し、重なり合うようなこの貴重な組み合わせに深みをもたらしています。
組み合わされる前に、これらのプレートは、微細彫刻と切込みにより、くぼみをつけて彫金しています。
熟練彫刻師にとって困難だったのは、わずか0.4~0.8mmの薄さのプレートに、0.2mmの深さにも満たない彫刻の細工を施していくことでした。ひとつの文字盤を仕上げるのに、200時間以上が費やされます。
彫刻師の正確で巧みなタッチにより、立体感を生み出し、奥行きが強調され、自然が生き生きと表現されています。さらに写実性を高めるため、アンコール遺跡と北京の旧円明園をモチーフとしたタイムピースは、木の葉の茂りにダマスカス技法も用いられました。
この技法は、彫金した表面に金属ワイヤーを埋め込むもので、ホワイトゴールドの中にピンクまたはイエローゴールドのワイヤーを施します。ホワイトゴールドよりほんの少し柔らかい2種類のゴールドを、きわめて緻密な作業で小さな文字盤上に埋め込んでいくのです。これらの異なった文字盤は、比類ない職人仕事を際立たせる彫金された細いリングで囲まれ、直径40mmの18K(5N)ピンクゴールドのケースの中に収められます。
伝説的な超薄型ムーブメント、キャリバー1120
リーフ型針がそっと時分を表示するこれらの時計を駆動させるために、メゾンが選んだのは超薄型自動巻きムーブメント1120です。
ヴァシュロン・コンスタンタン創業200年を記念して、1955年に発表された厚さ1.64mmの伝説的な手巻きキャリバー1003に続き、メゾンは自動巻き機構を搭載したキャリバー1120の開発を1966年にはじめました。この時の目標も同様に、高い持続力で優れた美的外観を備えた超薄型ムーブメントを発表することでした。1968年にこの目標が達成され、直径28mm、厚さわずか2.45mmのムーブメントが発表されました。
2010年、「ヒストリーク・エクストラフラット1968」限定モデルを発表し、キャリバー1120に新たな風を吹き込みました。新たなデザインに備わったマルタ十字を模った18Kゴールド製のローターは、サイズはそのままに、パワーリザーブを40時間まで伸ばしました。名高いジュネーブ・シールが刻印され、コート・ド・ジュネーブ、ペルラージュ、面取り、側面のヘアライン仕上げが手作業で施され、このムーブメントの装飾と仕上げがさらに高まりました。以来このキャリバー1120は、メゾンのコレクションの中でも、特に少数製作の新作に採用され続け、パーペチュアルカレンダーなどのモジュール式の複雑機構を組み入れるベースムーブメントの役割を担っています。
偉大な歴史建造物を讃えたこのシリーズには、精緻な仕上がりと原産地を保証するジュネーブ・シールが刻印され、このキャリバー1120はオリジナルと同様に時刻表示のみを備えています。144個の部品から構成され、2.75Hz(毎時1万9800回振動)で調速されるこのムーブメントは、わずか9.1mmの厚みのケースに収められ、アリゲーターレザ ーストラップとピンバックルが装備されています。
レ・キャビノティエ − メモラブル プレイセズ(忘れがたい場所) −トゥール・ド・リル −
1834年、ヴァシュロン・コンスタンタンは、ジュネーブのファブリック(製造所)と呼ばれる地区を離れ、それまで警察署であったトゥール・ド・リル(島の塔)に移りました。長い間、トゥール・ド・リルは、ローヌ川にかかる橋に隣接したため、ヨーロッパの南北縦断路の唯一の検査所となっていました。
メゾンは、1875年にケ・デ・ムーラン(水車河岸)近くにメゾンを移すまで、約30年間このトゥール・ド・リルに製作工房を構えていました。
1881年にフランス人のオーギュスト・デュロイ(Auguste Deroy : 1823-1906)が描いたリトグラフのデッサンから着想を得たこのユニークピースの文字盤には、同様の技巧が用いられました。
息をのむほどの写実性を備えたこの構図は、インタリオ彫金されたピンクゴールド、イエローゴールド、ホワイトゴールド製の7つのパーツが文字盤上で組み合わされます。
レ・キャビノティエ − メモラブル プレイセズ(忘れがたい場所) −アンコール・トムの南大門 −
アンコールは、東南アジアで最も重要な考古学遺跡のひとつです。200の寺院から成り、400㎢に広がる水路が整備されたカンボジアの遺跡で、クメール王朝が9~15世紀に設けた数々の首都の跡を辿ることができます。なかでも、12世紀に構築されたアンコール・トムは、最期の最も長く続いたものでした。ルイ・ドゥラポルト(Louis Delaporte:1842-1925)が描いたアンコール・トム南大門が、このユニークピースのモチーフとなりました。
彫金とダマスカス細工が施されたピンクゴールド、イエローゴールド、ホワイトゴールド製の9つのパーツが文字盤上で組み合わされ、見事な奥行きを与えています。この緻密な作業は、約200時間を要しました。
レ・キャビノティエ − メモラブル プレイセズ(忘れがたい場所) −清朝の旧円明園 −
元来の姿は≪完璧な輝きの庭≫で名高い旧円明園は、紫禁城から15kmに位置する旧王宮で、建築至宝と素晴らしい芸術と古代のコレクションを含んでいました。18~19世紀にかけ、清朝の本居として構築され、3.5㎢の敷地に3つの庭園からなるこの王宮は、第二次アヘン戦争でフランスと英国の軍隊により破壊されました。この王宮の1873年の彫刻作品が、このユニークピースの文字盤製作のためのモデルとなりました。
彫金とダマスカス細工が施されたピンクゴールド、イエローゴールド、ホワイトゴールド製の8つのパーツが組み合わされ、息をのむ旧円明園を表現しています。文字盤上でのこの緻密な作業は、約200時間を要しました。
レ・キャビノティエ − メモラブル プレイセズ(忘れがたい場所) −北京の孔子廟と王朝の国子監への門 −
1302年にモンゴル帝国の第6代カアンの統治下で構築され、2回拡張され2万㎡の広さを持つ北京の孔子廟は、中国で2番目に大きなものです。1911年の辛亥革命まで、元、明、清の王朝の高官たちが孔子を祀る儀式を行っていた場所です。王朝の国子監の近くにある建築物で、14世紀に構築された数多くの建物群は博物館となる前に、長期にわたり行政機関として使われていました。この建築物に繋がる門が、このユニークピースの文字盤製作のモチーフとなっており、1864年に出版されたエミリー・テロン(Emile Thérond :1821-1883)の旅行記にも描かれています。
平板版画が奥行きを生む独創的な構図を創作し、インタリオ彫金されたピンクゴールド、イエローゴールド、ホワイトゴールド製の7つの部分が緻密に組み合わされています。
レ・キャビノティエ − レシ・ドゥ・ヴォヤージュ(旅の見聞録) −
世界に目を向けながら、ジュネーブ時計製造の技術を深めることがヴァシュロン・コンスタンタンの信念です。創業者の孫にあたるジャック・バルテルミー・ヴァシュロン(1787–1864年)は、最初にフランスとイタリアを巡り、その旅路はフランソワ・コンスタンタン(1788-1854年)に引き継がれ、絶え間ない旅によりメゾンの商業的な発展に貢献します。
フランソワ・コンスタンタンが中央ヨーロッパ、南米、北欧、アジアの市場を開拓し商業関係を確立した同じ時期に、メゾンは米国と中国だけでなく、ブラジル、香港、キューバにも足場を築きました。
フランソワ・コンスタンタンの書簡から、ナポレオン戦争とウィーン条約直後の復興の真っ只中にあるヨーロッパに向けたマニュファクチュールの四半世紀にわたる様子がうかがえます。ヴァシュロン・コンスタンタンの名が国境を越え、新たな市場を獲得しビジネスの拡大を続けました。
この時代から旅はメゾンの価値に根付いた概念であり、270年近いメゾンの歴史は、その人類の冒険により築かれているのです。創業者の足跡をたどり、世界とその驚嘆すべきものを題材にメティエ・ダールと機械芸術を融合さ
せた「レ・キャビノティエ - レシ・ドゥ・ヴォヤージュ(旅の見聞録) -」のシリーズを、卓越した技術と機械芸術を表現手段に、世界とその驚異を巡る時計製造の長い旅として制作しました。
レ・キャビノティエ − メモラブル プレイセズ(忘れがたい場所)−概要
ヴァシュロン・コンスタンタンは、4つのユニークピース「レ・キャビノティエ – メモラブル プレイセズ (忘れがたい場所) –」を通してヨーロッパとアジアでのこれらの「レ・キャビノティエ - レシ・ドゥ・ヴォヤージュ(旅の見聞録)-」を表現し、メゾンが大切にする世界に開けた精神を象徴しています。
アンコール遺跡、清朝の旧円明園、北京の孔子廟、そして、19世紀メゾンのジュネーブ本社であったトゥール・ド・リルをモチーフとするこれらのタイムピースの文字盤を製作するために、マニュファクチュールの熟練彫刻師たちは、メゾンが初めて中国と繋がりを築いた19世紀の描写から着想を得ました。息をのむほどの写実性を備えたこれらの文字盤は、メゾンで初めての技法を採用し、1mm以下の薄さのピンクゴールド、イエローゴールド、ホワイトゴールド製の6~9のプレートにインタリオ彫金を施しました。
これらは文字盤上で組み合わされ、ゴールドの異なった色合いで表現し、重なり合うようなこの貴重な組み合わせで立体感と奥行きをもたらします。さらに構図の写実性を高めるため、林冠を演出するダマスカス技法も用いられました。直径40mmのホワイトゴールド、またはピンクゴールドのケースに収められたキャリバー1120は、2.45mmの薄さだけでなく、その設計によっても、ヴァシュロン・コンスタンタンの伝説的な自動巻きムーブメントです。
クリスチャン・セルモニ(スタイル&ヘリテージディレクター )へのインタビュー
――新しいコレクション「レシ・ドゥ・ヴォヤージュ(旅の見聞録)」から、とりわけ「メモラブル プレイセズ (忘れがたい場所)」のタイムピースを通して、新しい職人の技法を紹介されています。多くの技法がすでによく知られた分野において、どのように革新をしていくのですか?
『メゾンは常に、メティエ・ダールの数々の技術を確実に守り、その創造的な世界に活力を与え続けてきました。今でこそ、これらの技術は高い人気を誇り、機械式複雑時計と同様に高級時計製造の一部となっていますが、常にそうであったわけではありません。少し前までは、ある種の芸術的工芸品は消滅する運命にあると思われていました。装飾芸術の学校は関心を失い、技能を持った職人達もこれらの職種で生計を立てることが困難でした。メゾンにとって、ノウハウの伝承は最重要であり、ブランド活動の基礎となっています。この理由から、メゾンは従来職人芸術を正しく評価し、一部は危機にさらされるこれらの技法を維持するために取り組んでおり、我々のコレクションは、それを反映しています。この世界はほんの少し目を向けるだけでも、職人によって立証されるその多様性、創造性、並外れたエネルギーに心を奪われ、魅了されます。ヴェネツィアで開催されるホモ・ファーベル展に、来訪した幸運な人々はすべて、この分野の豊かさを理解しています。ヴァシュロン・コンスタンタンでは、メゾンの芸術職人達の社内での育成を推進していますが、素晴らしい革新の可能性を提供する最も有能な職人とのコラボレーションも常に追求しています。総括すると、メティエ・ダールにおいて、さらなる発見があるということです。』
――小さくなったキャリバー1120は驚異と考えられるが、半世紀前に開発されたムーブメントにしては大げさではないでしょうか?
『2世紀以上にわたる歴史を刻んできた数々の時計開発を頼れることを私たちは幸運に思います。そして、これらの開発はメゾンのアーカイブに完璧に関連資料が保管してあります。私が言った幸運であるという言葉は、適切ではありません。その代わりに、脱進機部品同士の摩擦、ひげテンプの空気抵抗係数などを計算する、パソコンがない時代に考えられた技術・機械的解決策を見つける幸せと表現した方がよいでしょう。経験が計算尺を用いた言語を話し、シリコンなどの手段を用いることのなかった時代のことです。まったく異なった仕事へのアプローチとも言えるかもしれません。愛好家たちのコミュニティは、キャリバー1120は、調和と均衡がとれた構造を持ち、優れた技術的解決策を備えていると考えています。我々がこのムーブメントを発表した際、この世代で最も薄い自動巻きキャリバーであり、これ自体が完全な快挙でした。2010年にメゾンがこのキャリバーを見直した際、新たなローターを搭載しパワーリザーブを増大するなど、わずかな改良を組み入れました。まさしく、このムーブメントが設計当時からほぼ完璧であったことを立証しているのです。』
――中国はヴァシュロン・コンスタンタンにとって重要な市場なのでしょうか?
『中国は、19世紀半ばから我々が取引している大切な市場です。時が経つと共に、歴史的な存在は高まる一方です。今日、中国において約30の販売拠点と、上海の張園地区には4階建ての歴史的建造物Maison 1755を構え、メゾンの世界観に浸ることができます。このように、メゾンは早期に中国との繋がりを構築し、強化してきました。アジアのお客様は我々の時計を高く評価し、そしてメティエ・ダールを賞讃する精通した方々でもあります。彼らは、メゾンを特徴づける遊び心が添えられた、控えめでエレガントなスタイルを好みます。』